(こだいじいん)
【考古】
仏教寺院は、仏舎利や仏像、経典を安置し、僧侶が修行生活を行うための伽藍を中心とする宗教施設である。伽藍内には仏像安置のための金堂、インドではブッダの墓であったストゥーパから発展した塔、僧侶が講義を行う講堂などの中心施設があり、僧侶の生活空間である僧房や食堂などが周辺に配置された。さらに伽藍を運営するための経済的な施設が周辺に付属して設置されている。飛鳥時代~奈良時代に創建された寺院の多くでは、これらが平地に規則的に配置されていた。また山間・丘陵地に多数築かれた山岳寺院では地形に合わせた施設の配置となっている。これらの寺院は、成立時期からみて古代寺院と呼ばれる。古代寺院は天皇や貴族、地方豪族が人員や資材を投入して創建したもので、古代の律令国家はそれらを庇護する政策をとったが、やがてその多くは廃絶した。岡崎市北野廃寺は7世紀半ば頃創建の西三河地域最古の古代寺院で、10世紀頃まで継続したとみられる。市域には7世紀後半の勧学院文護寺跡や舞木廃寺跡などの古代寺院跡が所在し、塔の屋根に葺かれた古代瓦が多量に出土している。一方、伊保廃寺や牛寺廃寺のように塔の存在を確認できない古代寺院もある。また8世紀後半以降9世紀にかけては一部の集落内にも小規模な古代寺院が建てられた。それらは瓦葺建物ではないことが多く、掘立柱建物に若干の仏具や瓦塔などを安置していたとみられる。こうした古代寺院のすべてが遺跡であることからも明らかなように、廃寺となり現在まで継続しているものは1か所もない。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻51ページ、20巻724ページ