(こちょうやくば)
【近代】
明治11(1878)年から同21年までの町村役場の呼称。明治11年7月公布の郡区町村編制法によって、従来の大区小区制は廃止され、地方行政区画は府県一郡区一町村に整理された。郡区には郡長・区長が、町村には戸長が置かれ、それぞれが執務する役所として、郡役所と戸長役場が設けられた。戸長は町村ごとに1人が原則であったが、数町村で1人を置くこと(連合戸長)も少なくなかった。必ずしも戸長役場用に新しい建物を新設する必要はなく、戸長の自宅で事務を取り扱うこともでき、加茂郡猿投村の戸長役場は、戸長である森光貢一郎の自宅があてられた。明治17年5月、500戸を基準として戸長役場管轄区域を拡大する地方制度改革が行われると、戸長役場の数は大きく減少した。東加茂郡の場合、95あった戸長役場が14にまで再編され、愛知県内で戸長役場の管区が最も拡大した。明治22年に町村制が施行されると、戸長とともに戸長役場も廃止され、従来の町村事務は合併により成立した新町村の役場に引き継がれた。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻74ページ