寿町の達磨窯

 

(ことぶきちょうのだるまがま)

【建築】

寿町(挙母地区)。達磨窯とは、瓦を焼成するための窯で、その姿が禅僧の達磨大師が座ったような形であることに由来している。高浜市から移住した村瀬仙二郎により瓦製造所「村仙」の窯として、大正10(1921)年頃に築かれた。その後、村瀬製瓦所として3代にわたり受け継がれ、昭和56(1981)年まで使用された。窯は、粘土および耐火煉瓦製で地上式二口焚き昇焔式瓦窯となっている。主な構造は、中央部の膨らんだ瓦を焼く焼成室(六列五段組)とその左右の焚き口の燃焼室から成る。製品の出し入れは焼成室の横腹にある戸口から行われた。全長6.05m(風道を含めると8.5m)、高さ2.15m、幅3.32m。瓦の焼成には4日間要するが、平瓦なら1000枚、丸瓦などは800枚の能力がある。豊田市では平成6(1994)年頃まで瓦生産を行っており、最盛期の昭和30年頃には30か所を超えていた。特に寿町や緑ヶ丘を中心とした地域で盛んに行われており、なかでもこの製瓦所は、市内に現存する瓦焼成用の窯・達磨窯のうち最古であり、製瓦業の様子を良く伝えている。市指定有形民俗文化財。写真は操業時の様子。

『新修豊田市史』関係箇所:22巻520ページ