(こにゅうよう)
【近世】
村の運営に必要な経費を村入用または小入用という。その内容としては、紙や蝋燭などの経費、村役人などが集まって作業を行う際の飯料、祭りや虫送りなどの行事、道・橋や用水などの工事、猪鹿を威す鉄砲の玉薬代や夜番などへの手当、年貢納入のための雑費や村役人が領主の役所などへ出向く際の経費などがあげられる。また幕府から課される助郷や国役なども村入用として村民から集められた。村民への賦課は1戸当たりいくらと決める軒割と、それぞれの持高に応じた高割があり、村によって併用する場合と、どちらか一方にする場合とあった。額があらかじめ決まっているのではなく、その年の総入用を年末または年始に割り振るため、大規模な工事を行ったり、争論や領主への歎願で経費が嵩んだりした年は各個の負担額も増大することになる。村入用の増大が年貢などの納入に影響するのを防ぐため、領主はたびたび倹約を命じ、領主によっては小入用に入れてはいけない費目を定めるなどしている。幕領などでは小入用帳を提出させ検閲しているが、天保期(1830~44)は多くの村でかなり増加し、その後少し減少するものの、幕末には天保期を上回る額になる。その要因として、一つには物価の上昇があるが、領主から求められる負担の増大と、凶作などによって年貢を納められない百姓の増大がある。年貢は村単位にかかるため、未納分は村で負担しなければならず、村民では負担しきれない場合、借用に頼らざるをえない。そうした村としての借用を村借という。村借あるいは個人の借用金はしだいに増加し、村そして村民の生活を圧迫することになった。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻156ページ、7巻319ページ、8巻244ページ、9巻215ページ