(コミュニティバス)
【現代】
名鉄バスは廃止や運行本数の減少が相次ぎ、山間部の路線バスは、県・名鉄・地元市町村が赤字を3分の1ずつ負担して運行していたが、平成11(1999)年9月をもってこれらのバス路線が廃止されることになった。名鉄バス御蔵線、二タ宮線、明川線、小渡線が廃止されたことにより足助町、稲武町、旭町はバス路線がなくなってしまった。3町は調整を行い、足助町は御蔵線、二タ宮線に町代替バスを、稲武町は稲武線に町営バスを、旭町は杉本線に町営バスをそれぞれ運行することになった。名鉄バス小渡線、小原線の廃止により影響を受ける小原村と旭町はそれぞれ町営バスの運行を開始した。足助町では平成12年4月から、公共交通のない地域に福祉バス「あいま~る」(写真)の運行を開始した。「地域に愛を運びまわるバスとして、親しんでほしい」という願いが込められ、公募により「あいま~る」となった。平成10年7月21日から松平地区で、地域と松平コミュニティセンターを結ぶ送迎バスのモデル運行が始まった。車両はミニバスで、高齢者など昼間の時間帯に移動手段を持たない人を主な対象者とし、停留所は全域で41か所。名前は公募で選ばれ「ともえ号」となった。名鉄バスが不採算路線の廃止を表明した平成9年5月頃から、高岡地区では10自治区(後に11自治区)が独自のバス運行に向けて動き出した。豊田市も一定の条件のもとで支援していくことを決めた。平成12年8月、11自治区による地域の運営組織「ふれあいバス運営協議会」を設立、交通事業者の組織「豊田市生活交通事業者協会」と豊田市の三者による運行協定を締結し、平成12年10月から、全国的にも珍しい地域主体のバス「ふれあいバス」2路線が走り出した。ふれあいバス運営協議会は、市からの負担金を受け、利用促進の取り組みを行っている。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻523ページ