(こもりみょうじんさいれいのず)
【近世】
子守明神祭礼(挙母祭)を表した絵巻。縦30.4cm・長さ676.0cm、巻子装。挙母城の童子山への引城・藩主の御見分を受けた天明5(1785)年9月以降、中軸に巻かれた料紙に「天保十一子年五月預リ」とある天保11(1840)年5月までの間の制作。また作者についても長らく題箋にある「川上呉山」(経歴等不詳)とされてきたが、近年、落款印に「和田弘毅」とあることから、大坂在住の画家の和田弘毅こと和田呉山(1800 ~ 1870)とみる見解が示されている。子守明神(明治4 年11 月に挙母神社と改称)境内の山車揃いの場面から、御殿坂を上り町口御門から挙母城内に曳き入れられ、中御門(お多門)前の広場で神明町の山車を舞台に子ども歌舞伎が藩主の御前で披露される様子(写真)が描かれる。江戸時代の挙母祭を伝える絵巻であるとともに、当該期の挙母城(七州城)の景観の一端を伝える唯一の絵画史料である。豊田市蔵。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻132ページ、13号53ページ