御用通行

 

(ごようつうこう)

【近世】

幕府御用の通行のことで、また文書の文言の「御用」では大名・旗本領主・寺社などの公用の通行も含まれる。公用人馬の賃銭は、朱印・証文がある場合は無賃、それ以外は御定賃銭であった。伊那街道では幕府普請役の通行や参勤交代、旗本御用、寺社御用、公家御用などがある。御用通行の場合、宿場に前もって先触が届けられ、通行に必要な人馬が用意された。市域を通る街道のうち、特に岩村街道は挙母藩、岩村藩の参勤交代で利用されている。御用通行の人馬継立ての実態として「人馬継立帳」などの帳簿の史料がある。幕末の慶応2(1866)年の武節町村の御用通行の人馬継立ては、正月から3月まで23件の通行が記されていて、4日に1件の割合であった。伊那街道は近世後期になると、御用通行が多くなり、伝馬を負担する村々ではその増大が問題となり、道中奉行から東海道・中山道・甲州道中筋を利用する通行者に制限を求め、御用の場合でも伊那街道沿いに用事がある場合以外は通行を認めないとの達しが文政9(1826)年2月に出されている。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻421ページ

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