挙母学校同窓会

 

(ころもがっこうどうそうかい)

【近代】

挙母藩の藩校であった崇化館や廃藩置県後に設立された挙母郷学校などの同窓を中心に明治23(1890)年8月に発足した団体。会則では「同窓ノ学友」が会して旧交を温め、新知を尋ね、会員相互に知識を交換することを目的とし、挙母学校同窓会と称すること、名誉会員・賛成会員・通常会員の各会員で組織されることなどが定められていた。発足には渡辺善次・宇佐美喜太郎・松下常見らが尽力し、名誉会員には旧挙母藩主内藤家当主で子爵の内藤政共を筆頭に、津村一郎・田中正幅・中根謙亨・鵜沼教・牧野利幹ら旧藩士族の重鎮や有力者が迎えられ、当初133人の会員を集めていた。会員は町長や町会議員、県会議員、尋常小学校や高等小学校の訓導、警察署長、開業医、尚武会幹事など、挙母町や西加茂郡あるいは周辺町村の政治的、社会的に枢要ともいえる地位を占めていた。定期的に刊行されていた会報の『挙母学校同窓会雑誌』(写真、のち『挙母学校同窓会会報』)には会に関わる記事や会員の消息だけでなく、挙母村(町)の時事についても詳しく報じられており、創刊号から村(町)の広報の役割も果たしていた。創刊は発会と同じ年の明治23年11月で、現在、昭和7(1932)年8月の第42号まで確認されている。


『新修豊田市史』関係箇所:4巻397ページ

→ 宇佐美喜太郎鵜沼教田中正幅内藤政共中根謙亨牧野利幹渡辺善次