(ころもがはらひこうじょう)
【近代】
挙母地区の現トヨタ自動車株式会社元町工場の一部にあった民間飛行場。昭和6(1931)年、起業家の熊崎惣二郎が、挙母-土橋間の山林11万坪の土地を購入して乗合、遊覧、輸送、商品宣伝等を行うための飛行場を建設することを発表し、同年2月18日には地鎮祭を挙行した。日本航空輸送株式会社の定期航空等が離発着する公共用飛行場を目指した時期もあったが、資金難や不況の影響か、計画は順調には進まなかった。昭和10年1月、衣ケ原飛行場を拠点とする日本防空義勇飛行隊が結成されると、同飛行場は防空のための飛行場へと性質を大きく転換した。飛行隊が結成された昭和10年以降、格納庫と事務所が建設されるなど計画は順調に進展しはじめ、同年9月6日には非公共用飛行場として逓信省から飛行場の設置許可がおりた。昭和12年頃から軍人の視察が増加したが軍の飛行場に転用されることはなく、昭和14年頃からはトヨタ自動車工業株式会社の航空機部品の性能試験を行うため使用されていた。昭和17年2月24日、名古屋ホテルで閉場式が行われた。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻610ページ、11巻84ページ