挙母号

 

(ころもごう)

【近代】

挙母町が所有していた民間飛行機。昭和11(1936)年8月27日、挙母町にあった民間飛行場である衣ケ原飛行場の専属飛行士、小泉喜久雄が操縦する飛行機が衣ケ原飛行場に飛来した頃から、昭和12年に名古屋で開催される汎太平洋博覧会を目指し、衣ケ原飛行場の完全化とともに民間飛行機挙母号の購入が計画された。青年団や在郷軍人会、消防手らによって、町民から1700円を目標として献金募集を行うことに決まり、幅広い層からの献金があった。浜松飛行機製作所から海軍陸上練習機の払い下げ機(アブロ504K)を購入し、昭和12年5月12日に航空局の機体検査に合格した。航空思想の普及や郷土飛行士の養成に寄与することが目的とされ、実際には小学校の見学会や体験飛行が行われた。一方、挙母号は挙母町の防空を強化する一環としても位置付けられ、防空演習等でも利用された。同機が老朽化した後には、昭和16年頃に2号機(三式陸上初歩練習機二号)が購入された。満州事変期やアジア・太平洋戦争期には、市町村等から陸海軍に多くの軍用機が献納される動きがあったが、町が民間飛行機を所有するのは全国的にも珍しい。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻612ページ、11巻90ページ

→ 熊崎惣二郎衣ケ原飛行場日本防空義勇飛行隊