(ころもごう)
【古代・中世】
古代賀茂郡に属した郷名。「ころものさと」とも読める。旧挙母村名としてコロモの地名が残っているように、現在の豊田市中心部あたりと想定される。『和名類聚抄』の大東急記念文庫蔵本に「挙母(古呂母)」の訓みがある。『古事記』の垂仁天皇段に、垂仁天皇の御子大中津日子命は「許呂母之別」の祖で、御子落別王は「三川之衣君」の祖とあり、その実在性については不明であるが、賀茂の地名コロモに基づくと思われる。平城宮跡の第2次内裏、大極殿の東方基幹排水路出土の瓦に「参河国賀茂郡挙母郷」とあり、延暦12(793)年の紀年が、挙母という漢字表記の初出である。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻74ページ