(ころもじんじゃのだし)
【建築】
挙母神社の大祭(挙母祭り)において曳かれる。本町(写真)・東町・南町・中町・神明町・竹生町・西町・喜多町の8輌の山車は、構造となる部分は、ほぼ同形同大(高さ5.4~6m、長さ3.7~3.8m、幅2.6~2.7m)である。下山は間口1間、奥行1間、上山は間口1間、奥行2間、向唐破風屋根、下山前面に舞台を付す。挙母型と呼ばれる山車は上山と下山から成る二層型、車輪は外輪式、下山の前方に一畳弱の広さの「舞台」(踊台)を設け、楫棒は後方にのみ取り付け、後端部が跳ね上がる湾曲した部材を用いる点に特徴がある。現在のような形態が完成したのは、江戸時代末期から明治初期頃と考えられている。山車が2層構造になったのは、寛延頃(1748~51)からで、その後享和頃(1801~04)までに下山の高さを変更し、上山を高くする改造があった。文化・文政期には彫刻が増加し、漸次装飾も整えられていった。からくり人形や山車全体を覆い尽くすような派手な彫刻も無く、要所に飾られる彫刻のほか、花鳥画などの描かれた襖絵、武者絵や龍などが刺繡された幕などに装飾の重点が置かれている。県指定有形民俗文化財。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻416ページ