(ころもはんさつ)
【近世】
挙母藩が幕末・維新期に発行した領内通用限定紙幣。挙母藩は、文久4(1864)年正月と慶応元(1865)年に小銭の欠乏を理由に銭札を発行した。その後、銭札の通用期限が切れると、明治2(1869)年5月に、藩は小銭の未流通を理由に新政府の許可を得て新規の銭札(米価銭札)を発行した。この米価銭札をめぐっては、贋札事件が発生しており、このような状況に対し藩は、同3年3月になると、100文以上の米価銭札へ増印した新銭札を発行することとした。この時藩が発行した新銭札は、単に米価銭札へ増印したものではなく、挙母町が発行した預かり手形の形態を取っていた(写真)。のちに無許可で銭札を改造していたことが新政府に咎められ、大参事田中正幅と権小参事中川貞幹が処罰されている。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻754ページ