挙母祭り

 

(ころもまつり)

【民俗】〈マチの民俗〉

挙母祭りは10月第3土・日曜日に行われる挙母神社の大祭で、挙母藩城下町に形成された氏子8町の山車が奉納される。氏子8町は名鉄豊田市駅前を中心とする下町地区の5町(中町・竹生町・西町・喜多町・神明町)と下町地区の南西の高台にある樹木地区3町(旧東町・旧南町・旧本町)に分かれる。これは下町地区にあった挙母城が矢作川の水害を避けて樹木地区に移転した際、東町・南町・本町の氏子が移ったことに由来する。この3町の町名に「旧」の字があるのは現行の町がないためである。これに対して下町地区は中町を除いて自治区域を単位とし、竹生町は西区・中区・東区の3自治区、西町は二区西部、喜多町は三区、神明町は二区東部・小坂区の2自治区からなる。中町も現行の町にはなく、桜町1・2丁目にかけての区域(かつての城下町の中町であった範囲)である8番組から16番組が該当し、このために「旧中町」ということもある。このような氏子町のあり方は祭礼組織にも反映され、最高責任者は竹生町・西町・喜多町・神明町では自治区長が務めているのに対し、中町と樹木地区3町の最高責任者は、中町は「シン(真)」、旧東町は「社長」、旧南町は「総代」、旧本町は「庄屋」と呼んでいる。祭礼組織は旧本町の場合、庄屋の次に副庄屋・会計がいて、会計→副庄屋→庄屋と1年交代で務めている。山車の曳行に関わるのは、囃子を受け持つ若衆、若衆をまとめる年行司、綱を引く綱元、梶棒を担ぐ梶方、綱梶全体を統括する総後見である。総後見から庄屋へ続く役職には車世話方、祭礼世話役、統制委員長がある。挙母祭り全体をまとめる連絡調整機関としては、氏子8町を中心に、神楽を奉納する三軒屋自治区を加えた「挙母祭り保存会」が結成されている。祭りの1か月ほど前から各町の会所では囃子の練習が始まり、2週間から1週間前に山車が組み立てられる。挙母祭りの1日目を「試楽(しんがく)」といい、午前中は下町地区で町内曳き、樹木地区では三町曳きを行う。午後から、下町地区は五町曳き、樹木地区は町内曳きとなる。午後7時から午後9時にかけ、挙母神社境内では氏子8町による七度参りが行われる。2日目は「本楽(ほんがく)」といい、旧南町の一本角の獅子が境内を清めた後、午前10時から山車の「曳き込み」が始まる。先頭の山車は「華車(はなぐるま)」といい、各町に順繰りで巡ってくる。山車が境内に直列に並ぶと本殿で神事が行われ、神輿の渡御がはじまる。神輿は猿田彦(天狗)を先頭に下町地区・樹木地区を巡行し、午後4時前に神社に戻る。その後「曳き出し」となり、境内から出た山車は一度豊田信用金庫本店前の交差点に集合し、解散する。これを「泣き別れ」といい、夕方には「筒元(つつもと)」による奉納花火も打ち上げられる。本楽翌日は「山おろし」といい、各町で山車の解体や総会が開かれ、日を改めて各町の役職ごとに慰労会が催される。〈マチの民俗〉

『新修豊田市史』関係箇所:17巻34ページ