挙母面 

 

(ころもめん)

【自然】

西三河平野に発達する段丘面のうち、高い方から2番目にあたる段丘面。段丘とは、河川や海岸に沿ってみられる階段状の地形で、平坦な部分を段丘面、高い段丘面と低い段丘面を分けている崖を段丘崖と呼び、ふたつの段丘面の標高差(高度差)を比高という。海岸にみられる段丘は海岸段丘、河川に沿ってみられるのは河岸段丘である。河岸の段丘面は、かつての川原の面(河床面)であるが、急激な海面低下などが起こると川底の侵食が始まる。その結果、川底の浸食が始まる前の川原は水が流れなくなる(離水する)。こうして川の水の影響を受けない乾いた地表面となり、その時の河床面より一段高い段丘面ができる。こうして数段の段丘ができていく。挙母面は、豊田盆地の北~西~南側に広範囲に広がる。段丘面の標高は、北部では90~100mであるが、大部分の地域では20~70mで、北から南に低くなる。地図上に挙母面のみを書き出してみると、カエデの葉を並べたような形をしており、かなり侵食されているのがわかる。挙母面をつくる地層は挙母層と呼ばれ、市域では厚さ6~12mである。分布域北部では礫層、中~南部では砂層からなる。北部の礫層は、花崗岩、濃飛流紋岩、チャートなどの径20~30cmの丸い礫が多いが、南に向かって小さくなる。挙母面上の土壌は赤い色をしているが、これは長期の風化で赤色化したものである。花崗岩や濃飛流紋岩の礫も風化作用をこうむって脆くなったり、あるいは軟らかくなったりして、「クサリ礫」などと呼ばれたりする。市域南西側の安城市では、挙母層は碧海台地の下に広がり、さらに厚くなっている。上述の濃飛流紋岩とは、富山県南部から岐阜県南東部にかけて広く露出する岩石で、火山の噴火に伴って降下した火山灰が余熱で再び溶けて固まった「溶結凝灰岩」の一種である。その時代は、中生代白亜紀後期から新生代古第三紀前期。またチャートとは、珪質(SiO2)の殻をもつ放散虫などの遺骸が海底に降り積もってできた堆積岩。

『新修豊田市史』関係箇所:23巻7・50ページ

→ 河岸段丘三好面領家花崗岩類