ころも焼

 

(ころもやき)

【近代】

大正8(1919)年ごろから昭和15(1940)年にかけて焼かれた「ころも焼」、「コロモ焼」・「衣焼」、「衣城焼」の総称。「ころも焼」は、大正8年に刈谷の野田村出身の陶芸家角岡頼二郎(1889~1967)が挙母の下町北部(若宮町4丁目南部)に築窯してはじめたものである。角岡は大正12年に生誕地の野田村に移ったため、窯は伊藤太平らに引き継がれたが、昭和4(1929)年頃には閉鎖されたと伝わる。「コロモ焼」・「衣焼」は、昭和初期に陶芸家の犬飼嘉山(本名嘉男 1908~?)が衣窯合資会社(犬飼製陶所)を設立し、名鉄三河線上挙母駅西隣付近に築窯して焼きはじめたものである。しかし、操業期間は短くて昭和15年頃には閉鎖されたという。「衣城焼」は、昭和7年頃から10年頃にかけて朝日丘中学校の北側あたりで焼かれたというが、正確な築窯場所、作者名などは不詳とされる。いずれも雅趣のある趣味的な茶器、花器、酒器などが焼かれた。