(こんごうじ)
【近世】
享保19(1734)年に霊源陽澤により中興される。霊源は尾張藩家臣熊谷氏の出身で、曹洞宗僧侶としての経歴をつみ、「国命」により尾張国雲興寺(瀬戸市)住持などをつとめたのち、一色村(藤岡地区)金剛寺の覚門長老に迎えられ、自ら開山始祖になったという。同寺は所在地である一色村の貴重な史料を伝えている。寛永期にさかのぼる年貢免状など年貢関係史料が多くあるほか、山や水の用益に関する一色村内の取り決め、猿投社の朱印山用益に関する同社からの指示、折平村(藤岡地区)との山境取り決め、折平村から一色村への上納金のための金銭借用証文などが伝わる。近隣百姓の家督相続や縁組みに関わる史料もみられる。寺自体の活動としては、寺子屋としての教育活動がある。教えをうけた筆子たちが資金をだしあい製作した師匠の彫刻像である「大鈞海門禅師頂相」(写真)は見応えのある貴重な資料である。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻628ページ、7巻712ページ