(さつきいけ)
【近世】
元禄年間(1688~1704)堤村町に造られた用水池。高11石3斗分の土地に造られた溜池である。池となった分も年貢は納めなければならず、用水の受益高に応じて堤村内の各組合で分担して納めてきたが、寛政4(1792)年堤村が刈谷藩と陸奥福島藩の相給となった時にその引継ぎができておらず、池所在の堤村町のみにその負担がかかってしまった。堤村町からの訴えにより文化12(1815)年刈谷藩は福島藩となった分はどうしようもないが、刈谷藩分は受益高に応じて分担するよう命じた。なお堤村には五月池のほか万五郎池・野田池など多くの溜池があった。
『新修豊田市史』関係箇所:8巻164ページ