(ざっこく)
【民俗】〈食生活〉
米麦の不足を補うため、雑穀が盛んに利用されたのは明治~大正期頃までと思われるが、一部では比較的遅くまで利用され、戦後の食糧難の時期にも一時的に復活した。武節(稲武地区)ではタカキビとモチアワを作り、タカキビは粉に挽いて団子のようにして食べ、モチアワは餅米とともに搗いてアワモチにした。川面(足助地区)ではモチアワを米に混ぜてお粥にし、美味しかったという。西広瀬(猿投地区)でもキビとアワを栽培し、正月の白い餅のほか、普段用のキビモチやアワモチも搗いた。古瀬間(高橋地区)でもキビやアワを作り、水車で搗いたが、水車がなくなって作らなくなったという。西岡(高岡地区)では米不足を補うため、朝は麦飯、昼はキビやアワの餅、夜はうどんや団子汁をよく食べたという。赤いタカキビは柏餅や粽を作る際にも使われた。ソバは山間部の一部で作られていたが、そばがきにすることが多く、そば切りを家で作ることは少なかった。〈食生活〉
『新修豊田市史』関係箇所:15巻307ページ、16巻321ページ