(さとうたもつ)
【現代】
豊田市名誉市民。大正2(1913)年10月4日名古屋市西区生まれ。昭和11(1936)年3月同志社高等商業学校卒業。挙母町立青年学校教諭を務めたあと昭和15年9月にトヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工)に入社。24年8月厚生課長、34年5月元町工場事務課長。35年12月に愛知県議会議員となり、38年4月県議会議員退任、同年5月トヨタ自工総務部次長となる。39年トヨタ労組の支援を受けて市長選挙に出馬、第4代市長に就任、3期12年にわたり豊田市長を務めた。この間、広域行政に着手、39年に上郷、40年高岡、42年猿投、45年松平の各町との合併を推進した。また近隣町村のリーダーとして豊田加茂広域市町村協議会の設立をすすめ、ごみ、し尿、火葬場、移動図書館など豊田・加茂を一体とした広域的行政運営を主導した。さらに昭和40年に第1次総合計画、45年に新総合計画を策定し、計画的行政運営の推進を図った。52年3月1日名誉市民に推挙、58年11月に勲四等瑞宝章を受章した。平成16(2004)年8月1日死去。享年90。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻158・350・356ページ