(さなげじんじゃかしどりいとおどしよろい)
【美術・工芸】
胴 胴高(現状高)39.7cm、草摺(現状高)32.5cm。猿投町の猿投神社に伝わる平安時代の大鎧(写真:東京国立博物館Image:TMN Image Archives提供)で、国指定文化財。胴は白、縹、紺の色糸を矢筈の模様に打交ぜた樫鳥糸で威され、立挙前2段、後3段、長側は4段、草摺は5段下りにしている。金交ぜにした小札で仕立てた札板を胴、草摺に用い、後世に革小札を使用した鎧と比べて丈夫で重量のある鎧となっている。わずかに遺った弦走韋の模様は矢筈襷に三蝶丸である。小札や鎧の形状によると、発生期の鎧の要素を備えており、国内で鎧の姿で遺されているもののうちでも、古い平安時代頃の制作と思われる。脇楯は黒革威で、壺板は鉄製で覆輪と包み韋は失われている。使われた革小札は、胴に使用した小札と大きさに大差はなく、制作した時期もあまりかけ離れていないように思われる。大袖は革小札を使用し、威韋には紺染小桜模様と紅染小桜模様の2種類に染めた韋を2本ずつ交互に使用して毛引威にしているが、一部の威韋に後補がみられる。制作時期は胴よりも時代がやや下り、鎌倉時代末から室町時代頃に仕立て直されて納めたとみられる。このように、胴、脇楯、大袖はそれぞれ材料や制作時期が異なっており、3種類の鎧の部位をまとめて一組にした鎧とみられている。この状態になったのは、応永2(1395)年に、中条詮秀が猿投神社に奉納した当初からすでにまとめられていたものか、長禄2(1458)年に中条国与が借り出した鎧を神社へ返還奉納したときにまとめたものか、あるいはこの時期以降のことであるかは不明である。長禄2年に鎧を再奉納した時に新調して鎧を納めたと考えられる鎧櫃もある。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻382ページ
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