猿投神社太刀 銘行安

 

(さなげじんじゃたち めいゆきやす)

【美術・工芸】

『日本刀銘鑑』によると、行安を名乗る刀工は伯耆や備前、備中などにいるが、大和古千手院派の刀工で、のちに薩摩へ移った波平派の行安が代々その名跡を継いでいて著名である。その中で平安末期の同派現存最古の作とみられる太刀が猿投町の猿投神社に伝世し、早く大正8(1919)年に古社寺保存法によって国宝(現重要文化財)の指定を受けている。この太刀については、その姿や銘振りが古雅で、鍛えや刃文等には大和風が色濃く、薩摩移住以前の大和本国での作とする見方がある。移住時期が明確でなく、作風による所見の相違のみでは、その正否を決し難いが、平安時代末期から鎌倉時代初期のいわゆる初期日本刀を考える上に欠くことのできない数少ない太刀の1口として貴重である。なお、この太刀には兵庫鎖太刀拵が附として存するが、現状の鞘は江戸時代に室町時代初期頃の金銅丸鞘太刀の鞘で補って取り合わされたものであり、柄や鐔およびそれに附随する残存金具から本来の拵は「兵庫鎖太刀」ではなく、柄のみならず鞘も蛭巻きとし、単脚腹帯形の足金物に桐文飾りの七ッ金で韋緒(かわお)を約した帯取を付した豪華な「金銅蛭巻太刀」であったと考えられている。


『新修豊田市史』関係箇所:21巻365ページ

→ 猿投神社兵庫鎖太刀拵太刀