(さなげまつり)
【近世】
猿投神社の祭礼。「猿投合属」と呼ばれるムラの連合が、飾り馬・棒の手・鉄砲等の警固を猿投神社に奉納した。近世では、三河・尾張・美濃の3国186か村が構成する13合属が参加した。13合属のうち、広沢合属(猿投地区)、小原合属(藤岡・小原地区)、川通合属(石野・猿投・藤岡地区)、高岡合属(藤岡地区)、四郷合属(猿投・保見地区)、宮口合属(挙母・三好地区)、寺部合属(高橋・石野地区)の8合属を市域の合属が占めている。奉納される飾り馬は「オマント」と呼ばれる馬の塔(馬の頭)であり、猿投祭りの馬の塔は最大規模であった。三ツ久保村(小原地区)・愛知郡菱野村(瀬戸市)・藤沢村(猿投地区)・寺部新屋町(高橋地区)から出される飾り馬の標具には、「献馬大将」「デク」と呼ばれる等身大の木製人形があり、全国的にみても珍しいものである。棒の手を奉納する地区は見当流か鎌田流を継承しており、奉納する際にやり方を巡ってしばしば争論があった。また、警固の鉄砲は火災などの災難をもたらすこともあったことから、争論の原因ともなった。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻635ページ