猿投村

 

(さなげむら)

【近代】

明治39(1906)年~昭和28(1953)年の西加茂郡の自治体名。北端に猿投山(628.9m)がそびえ、山麓には式内社の猿投神社が鎮座する。江戸時代の藩政村が合併を繰り返したのちに、明治39年に成立。猿投村という名称は江戸時代から存在したが、明治22年に周辺諸村との合併で広沢村となり、明治39年の合併で名称復活した。合併各村の大字を継承した以下の13の大字(猿投、加納、乙部、本徳、舞木、亀首、四郷、花本、荒井、越戸、御船、西枝下、西広瀬)からなっていた。その後、昭和28年に町制施行に伴い猿投町となり、同42年に豊田市に編入された。明治17年の地籍帳からのちに猿投村となる各村の土地利用データを総計すると、田480町、畑219町、宅地57町、山林原野1294町であり、同じく明治24年の「徴発物件一覧表」からは、戸数1274、人口5161人(うち、男性2570人、女性2591人)であった。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻380ページ