三月節供 

 

(さんがつせっく)

【民俗】〈年中行事〉

3月3日は三月節供、桃の節供、ひなまつりなどといい、一般的には女の子の節供とされ、女児がいる家では座敷や居間に雛人形を飾って行事を行った。市域では、旧暦の3月3日あるいは月遅れの4月3日に行うことが多く、子どもの初節供(誕生後、最初の節供)の時には母親の在所(実家)やシンルイなどから人形が贈られ、シンルイを招いて披露し、接待をした。人形は、かつてはドビナ・ツチビナ・イシビナ(土人形)を贈るのが主流で、武節(稲武地区)、東大林・神殿(下山地区)、坂上(松平地区)などでは、節供前になると天秤棒を担いで土人形を売りに来る人があり、近所の人たちはこれを買って贈ったという。市域の山間部では、男児にも雛人形を贈る風習があり、葛沢や綾渡(足助地区)などでは、在所やシンルイ、オキモリ親(仲人)、近所の人が土人形を足助の町から買ってきて、女児には男雛、男児には女雛を贈ったという。昭和30年代になると、次第に女児が生まれた家だけに段飾りの衣装人形を贈るのが主流になっていった。「雛人形は2月の風にあたりたい」といわれ、2月のうちに出して飾った。反対に節供が終わって人形をしまうのが遅いと女の子の婚期が遅れるといい、なるべく早くしまった。人形を飾ると雛菓子、調理した食物、花木などを供えた。雛菓子はボロや草餅のほか、地域によってカラスミ(市域北部)、オコシモノ(市域南西部)、イガマンジュウ(主に市域南部)、竹寒天などが用意された。竹寒天は竹の中に色付けした寒天を流し込んだもので、旭地区、下山地区、足助地区、松平地区などで作られた。また、かつてはどの家でも節供の前に餅を搗き、ヨモギやキビ、あるいは色粉で色付けして菱餅を作って供えた。人形へのお供えには、寿司やアジゴハン、煮物などのほか、ツボとワケギの味噌和えを必ず用意し、ワケギを箸に見立てて2本添えた。アサリの身を串刺しにして干した串アサリを料理に添えたり、菱餅に立てたりすることもあった。黒田・大野瀬(稲武地区)では一升瓶に生きたドジョウを入れ、ここに桃などの枝を挿して供えたという。三月節供の時、市域では子ども達が雛人形を飾る家々をまわり、お菓子をもらうガンドウチという行事があった。また、山間部では昭和10年代まで子どもが雛人形を持って見晴らしの良い山に登り、景色をみせる行事があり、稲武地区では「雛様ごろじ」「雛の花見」「雛送り」などといった。年数が経ち古くなったり欠けたりした土人形は川へ流したが、山間部ではお雛さんは百姓の神様だとされ、鳥除けとして畑や田の畦に置いたという事例も多い。小町(足助地区)、簗平(小原地区)では畦などに置いてから川へ流した。こうしたことから、三月節供には春の農事の開始にあたっての祓えや、田の神迎えの要素が指摘されている。畦に置かれた土人形は自然に朽ちていったが、衣装人形になると人形供養に出すようになった。〈年中行事〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻711ページ、16巻640ページ

→ ガンドウチ