三斗目遺跡

 

(さんどうめいせき)

【考古】

遺跡は松平地区の坂上町三斗目にあり、巴川に注ぐ仁王川に開析された谷地形の標高約220mの南斜面台地上に立地している。昭和29(1954)~30年頃に行われた耕地整理の際に土器片が出土したことで遺跡として知られるようになり、その後、平成2(1990)年に市教育委員会による試掘調査が行われ、平成3年11月には県埋蔵文化財センターによる発掘調査が行われた。その結果、台地上では竪穴建物跡・炉跡・集石および配石遺構・土器埋設遺構などが見つかり、特に集石・配石遺構は15m×40m の範囲内に計26基が群集して築かれていて注目される。配石遺構が展開する地点では墓壙とみられる土坑も多数発見されている。一方、隣接する西側では竪穴建物跡やピットなどがまとまって見つかっており、また、調査区北西端の河川側では古い自然流路内から後期前半の土器片がまとまって出土している。出土遺物は縄文土器が多数を占め、特に集石・配石遺構の周辺からは深鉢・注口土器などを主体とした後期中頃~末までの縄文土器が多数出土している。石器・石製品には石鏃、石錐、石匙、スクレイパー、打製石斧、磨製石斧、磨石・敲石類、石皿・台石類、有溝石錘、石棒・垂飾があり、土製品では土偶(写真)が出土している。また、弥生時代の遺物としては、前期の条痕文系の樫王式深鉢片がある。


『新修豊田市史』関係箇所:1巻77・95・112・117・132・165ページ、18巻194ページ