産の忌み

 

(さんのいみ)

【民俗】〈人の一生〉

かつては出産はケガレであると意識され、産後は忌み篭りが求められた。井戸水を汲んだりクドで火を焚いたりすることが禁じられ、神仏を祀る部屋(デイ)にも入れなかった。また、他家を訪問することも禁じられ、太陽に当たるのが「もったいない」とされたため、外出する際には笠をかぶり、橋を渡ることもできなかった。忌みは徐々に明け、七夜を過ぎればクドでご飯を炊いたり井戸水を汲めるようになったが、忌みが完全に明けるのは産後33日目とされたところが多い。生まれたのが男子か女子かで忌明けに差を設ける場合もあり、宮口上(挙母地区)では「男の子は35日、女の子は28日」、西広瀬(猿投地区)では「女は罪が重いので33日、男は早くて25日か27日」と伝えている。産後は母体を休ませることが必要であり、産の忌みの習慣は、産婦をしばらく家事から解放する意味もあった。やがて助産院での出産が一般化すると、忌みの観念も薄れていった。〈人の一生〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻622ページ、16巻563ページ