産婆 

 

(さんば)

【近代】

堕胎の禁止令は近世後期からたびたび出されてきた。明治元(1868)年12月新政府は、産婆の営業について取締りの法令を出した。産婆が売薬業を行い、堕胎を取り扱うことを禁じ、人の生命に関わる重要な職業であることを自覚するように命じた。近代的な医師の取締や免許制度が整備されたのと同様に、産婆も医療専門職として産婆術の習得が義務付けられ、試験による免許交付がなされるようになった。愛知県でも明治10年2月開業の際の出願書式を定め、14年1月には産婆開業の際に師家の習熟保証書の添付を求め、さらに17年には産婆講習会規程と産婆規則を定め、産婆への管理をしだいに強めた。産婆組合の設立や講習会の実施で技能の向上がなされ、産婆免許状の所持者以外の営業を認めなかった。18年西加茂郡でも産婆講習会が組織され、19年東加茂郡では無免許で産婆業を行う者がいることに注意を促し、産婆の講習の必要性を達している。なお18年の西加茂郡内の産婆は72人、東加茂郡内では139人であった。

『新修豊田市史』関係箇所:4巻96ページ