三尾同盟

 

(さんびどうめい)

【古代・中世】

徳川家康と織田信長が結んだ同盟。古くは清須同盟といわれ、永禄5(1562)年に清須城で当時締結されたとするが、その根拠も不明で家康が清須城で信長と会見した事実もない。永禄3年の桶狭間の戦い後、岡崎城に入った松平元康(徳川家康)は、今川氏の影響が弱まった西三河の阿摺衆などの国衆らを配下に入れ、三河統一にむかう。一方信長は高橋地域へ侵攻して織田領化を進め、両者は尾張・三河国境域で相対することになる。これ以降に信長と元康の同盟が結ばれ、信長領と元康領の領域確定がなされたと思われる。この同盟成立は、『三河物語』によると水野信元の仲介があったという。そして永禄6年には家康長男竹千代(信康)と信長の女徳姫が婚約し、両者の関係はより強まる。その後、家康(元康)は三河を統一し、さらに信長の後援を得て今川・武田氏と戦う。信長は武田氏の東からの脅威を家康が抑えることによって、尾張統一、美濃侵攻、上洛へと進んでいく。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻575ページ