(さんぼんまついせき)
【考古】
松平地区の坂上町三本松に所在する縄文時代後期末を主体とする遺跡。巴川に注ぐ仁王川に開析された谷地形の標高215mの南側自然堤防上に立地する。平成2(1990)年に仁王川流域のほ場整備に伴って市教育委員会による試掘調査、平成3年12月には県埋蔵文化財センターによる発掘調査が行われ(写真)、縄文時代の遺物包含層である黒褐色シルト層のほか、竪穴建物跡1基・土器埋設遺構4基・集石遺構3基・土坑・ピットなどの遺構が見つかっている。土器埋設遺構はいずれも縄文時代後期末のもので、4基中3基は複数の土器を入れ子状にしたものも含め土器を直立または倒立させた状態で埋納している。他の1基は3個体の土器片が折り重なっている。土器埋設遺構の一つは竪穴建物跡の埋土中で、建物跡の床面上25cmの位置から出土しており、廃絶後の竪穴建物が埋没していく途中の凹地を利用して土器を埋設していたことがよくわかる事例となっている。出土遺物は縄文土器と石器が多く、縄文土器の主体は後期末の土器で、他に中期後半~末、後期前半~中頃、そして晩期前半~後半の土器も含まれている。石器・石製品は、石鏃・石錐・石匙・スクレイパー・使用痕のある剥片・磨石・敲石・磨製石斧・大型石棒が出土している。弥生土器は中期末長床式の壺片が出土している。
資料提供者「(公財)愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター」
『新修豊田市史』関係箇所:1巻76・95・113・168ページ、18巻180ページ