(しがちょうのだし)
【建築】
志賀町(高橋地区)。志賀町の山車は、志賀神社の祭礼において曳かれる山車で、明治中期に知多(一説に三好)から購入したとされ、二層型、内輪式である。山車は高さ6m、長さ3.45m、幅2.6mであり、下山は間口1間、奥行は2間、上山は間口は1間、奥行は1間、楫棒は下山柱の外側に取り付き、前後に突出する。下山の前方には4本の錺柱を立て唐破風屋根を載せる点も市内の他の山車とは大きく異なり、「知多型」と呼ばれる形式に近い。作製年代は不詳であるが、弘化4年に瀬川治助重定による彫刻が漆塗りや金箔押しが施され、山車の装飾が完成したことが知られる。主要軸部は、正面1間、側面3間、背面3間として地覆上に10本の角柱を立て、柱間は貫と腰板壁で固め、柱上に梁と桁を載せ、共桁状に延ばし、その上に刎高欄付の縁を載せる。長さ6mの丸太状の楫棒は地覆と柱に綱で結わえ付ける。上山は昇降させる機構を有し、柱間は四面とも開放し、天井は格天井を張る。屋根は一軒疎垂木・木舞入の向唐破風、拝みに牡丹の彫刻、棟に鬼板を置く。下山の正側三方には擬宝珠高欄、正面は蕨手に納める。屋根は二軒繁垂木の向唐破風、拝みに「鳳凰」の彫刻を吊る。下山・上山とも主要部材は漆塗り、一部に朱も塗られ、彫刻等には金箔が押される。瀬川治助の最晩年の作とされる彫刻も多彩で見応えがある。市指定有形民俗文化財。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻429ページ