(しきでんこようぐん)
【考古】
市内西端部(保見地区篠原町 旧賀茂郡域)に続く猿投山西南麓の一小支丘陵の南斜面に構築された窖窯あながま4基からなる古窯群。1号窯と2~4号窯は約1.5km離れている。グリーン・テクノピア構想に基づく土地造成に伴い昭和58(1983)年に2~4号窯が発掘された。いずれも山茶碗窯で、3号窯→2号窯→4号窯の順で操業し、3・2号窯は第7型式期(13世紀中葉)に、4号窯は第7型式期から同第8型式期(13世紀後葉)にかけて操業したことが明らかにされた。なお1号窯も山茶碗窯で、第7型式期に操業したとみられている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻160ページ、20巻130ページ