式内社

 

(しきないしゃ)

【古代・中世】

『延喜式式』(巻9・10 神名〈上・下〉)に記載された神社をいう。賀茂郡の式内社は『延喜式』(巻9神名上)に記されており、野見神社(野見山町)・野神社(野口町)・兵主神社(荒井町)・射穂神社(保見町)・猿投神社(猿投町)・広沢神社・灰宝神社(越戸町)の7社で、いずれも小座であった。隣の碧海郡式内社6社の一つ糟目神社(小座)は、豊田市渡刈町の糟目春日神社とする説がある。天明年中(1781 ~ 89)以前は現在の社地より北約1kmのところにあり鹽指大明神といったが、近辺を「糟目」「カスモ」と称しており、その可能性がある。社名から土地神を祀った神社名が多い。式内社は神祇官で幣帛を受け取る官幣と、国府で幣帛を受け取る国幣に分れていたが、賀茂郡の式内社は後者に該当する。戦国時代に衰退・廃絶し近世以降に位置比定された場合も多く、古代の立地場所は不明なものも多い。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻166ページ