(しげはらはん)
【近世】
明治元(1868)年に陸奥国福島藩板倉家が新政府の命令で三河国重原に転封となったことで成立した藩。寛政4(1792)年、刈谷藩土井家が前々年に領内で起きた一揆に対する処分として領地の一部を陸奥国に移す村替処分を受けた際、福島藩板倉家は、刈谷藩と交換する形で三河国碧海郡で領地を得た。同藩は、三河国重原に陣屋を築きこれを支配した。戊辰戦争にあたり奥羽越列藩同盟に与した咎で明治元年12月に藩主勝尚に知行3万石のうち2000石の減封および隠居と国替えの命が下る。この命令により勝達が家督を継ぎ、翌明治2年に三河国以外にあった知行はすべて三河国内に移された。板倉家は、すでに陣屋があった重原に藩庁を置いた。ここに重原藩が立藩された。その後、従来の陣屋では手狭なので新たな陣屋を築こうとしたが、完成する前に廃藩置県を迎えた。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻748ページ