獅子屋形

 

(ししやかた)

【民俗】〈祭礼・芸能〉

獅子舞に使う獅子頭を安置する屋形。もともとは大神楽を演じた人が、太鼓台と御神体の獅子頭を収め、移動の際の荷物の運搬用具として使ったものである。そのため獅子舞を演じたところでは、必ず同様の屋形を所持していたと考えられる。市域では現在、中根町、若林町、前林町(いずれも高岡地区)で合計3基の獅子屋形が確認されている。若林町のものは雨乞神輿と呼ばれており、この神輿を出せば雨が降るという伝承がある。同様の話は雨乞いに際して獅子舞を奉納した西三河南部の地域でも聞くことができる。獅子屋形の本来の構造は、長持と呼ばれる台上に祠または厨子のような形の屋形を載せたもので、長持の部分に担い棒を通し、前後を担いで移動させた。ただ、市域に残る3か所の屋形には長持が残っていない。屋形の多くは切破風屋根か、四方を入母屋屋根にした造りが多く、さらに後者は単層と二層造りのものが存在する。これらを製作したのは、名古屋城下町に存在した仏壇屋で、当時は仕立屋と呼ばれていた。江戸時代後期には名古屋の名産品ともなり、ここから各地へ獅子屋形が供給されていた。天保年間(1830~44)に作成された尾張の名物番付にも「橘丁獅子矢形」とある。若林町と前林町の獅子屋形の構造は、正方形の基台上に4本の柱を立てて切破風の屋根を支え、その全体を金箔の彫刻で飾ったものである。屋根棟端に鯱、破風上部には鬼板が口を開いて威嚇し、破風の上と下は彫刻で装飾する。その主な意匠は龍や獅子、鳳凰など吉祥に係わる題材である。また、中根町の屋形は単層で四方に破風を取り付けた宮殿様の構造である。正方形の基台四隅上へそれぞれ柱を立て、三手先の斗組で屋根を支え、四方ともに千鳥破風と、下の軒周りは唐破風を重ねる。四本柱は錺金具で包み、軒下の斗栱などには金箔を施し、四本柱上の高欄部に龍の彫刻を置く。これら屋形の四本柱内に獅子頭が収められた。〈祭礼・芸能〉

『新修豊田市史』関係箇所:17巻416ページ