(じしゅぼうさいかい)
【現代】
自主防災会の組織化は、昭和51(1976)年の手呂団地を皮切りに、翌52年には双美、鞍ヶ池、ぽぷら台、豊田ハイテクなどの新興住宅地が続いた。さらに東山町、豊栄町、宮上県営第三住宅、陣中町、水源町にも波及し、地域防災への機運が高まった。例えば畝部住宅自治区における自主防災会は、年2回の全戸参加による防災訓練、3か月に1度のミニ訓練を行っている。区にはヘルメット、防災ずきん、はそりなどの備品も完備され、住宅内の4か所の消火栓からはどの家にも届くだけのホースを備えていた。また中和会自治区の自主防災会は209戸の区民全員が会員となり、災害時には区の役員、消防団、婦人会組織が果たすべき役割分担を決めていた。訓練は年2回実施したが、伊勢湾台風を経験した人は防災意識が高かったようである。しかし自主防災会は10年余りの間に50団体にしか増えなかった(平成21年度現在330組織)。昭和62年に実施した防災意識調査では、9割の市民が災害(風水害)への不安を抱いており、近隣での助け合い(自主防災会の結成)に期待しているものの、活動にはあまり参加しないという傾向がみられたのである。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻395ページ、14巻798ページ