(じちく)
【現代】
自治区は昭和49(1974)年に行政区からの名称変更によって成立した。自分たちの組織だという自覚を喚起するための名称変更だった。戦後の駐在員制度を経て昭和35年に63の行政区として出発したが、その後の周辺町との合併や新住民の流入によって数は増え続け、自治区成立時点で200にのぼっていた。自治区は戦後民主主義の原点であり、「地域社会を明るく住みよいものにする」という目標をもった多目的な自主団体である。豊田市ではコミュニティを「ふれあい豊かな地域社会」と解釈し、自治区をコミュニティの核として位置付けている。そのため平成2(1990)年、区長会誕生30周年を記念して自治区コミュニティ構想が公表された。同年度、220存在した自治区への加入率は94%を占めており、自治区は行政からの委託事務の他に、①地域の協働業務の管理運営、②地域生活に関する行政への要求の取りまとめや交渉、③住民間の親睦、相互扶助の維持・強化などを行っている。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻189ページ、14巻208ページ