(しちしゅうじょうのずおよびずせつ)
【美術・工芸】
七州城の全景を、上空からみたかのように俯瞰的に描く。市指定文化財。七州城とは挙母城の別名であり、三河、信濃、美濃、尾張、伊勢、近江、伊賀の7か国の山々が一望できるところからその名がついた。縦58.8cm×横76.8cmと画面そのものは大きくはないが、実に緻密な描写によって描かれ、城郭中枢部の御殿の配置、建物の規模、地形の起伏などは正確に再現され全体像を知ることができる。また、人や馬も描き込まれている。作者は牧野敏太郎(1861~1937)。幕末期の挙母藩の重臣である牧野利幹の長男である。敏太郎は教師であり日本画家でもあった。弟はイギリスに渡った洋画家牧野義雄(1869~1956)。七州城は明治の初めに廃城となっており、画家牧野としてはみていないはずだが、幼い頃にみた記憶をたよりに描いたものという。付属品の「図説」は、「挙母城趾図説明」と題された巻物で、七州城図と一体となった構成をしており、画面に描かれる建物や多くの人物についての解説であり、牧野の自筆である。