(じつぎょうほしゅうがっこう)
【近代】
勤労青少年を対象に小学校の補習教育と簡易な職業教育を行う定時制の教育機関。明治23(1890)年の第2次小学校令では小学校の一種とされたが、明治32年の実業学校令により実業学校の一種として位置付けられた。明治26年の実業補習学校規程により発足したが、市域で普及し始めたのは明治35年の改正によって修業年限・教科目・教授時数・教授時期等の規制が緩和されて以降のことであった。北設楽郡に1校、東加茂郡に2校が設置された。西加茂郡では郡費補助をもって農業補習学校設置を奨励したため、一時期27校まで急増したが、町村合併や郡立農学校設置等の影響により明治40年代にはすべて廃止された。市域では、足助農商補習学校を除いてほとんどが農業補習学校であった。大正5(1916)年から再び実業補習学校数が増加し始め、大半の小学校に付設された。大正9年の実業学校令及び実業補習学校規程の一部改正により、実業補習学校の目的は「小学校ノ教科ヲ卒へ職業ニ従事スル者ニ対シ職業ニ関スル知識技能ヲ授クルト共ニ国民生活ニ須要ナル教育ヲ為ス」と定められ、職業教育と公民教育を目的とする勤労青年教育機関となり、修業年限・教科目・教授時数等に一定の基準が設けられた。大正期になると市域では夜間季節制から昼間通年制に転換する動きが広がり、昭和8(1933)年には独立校舎を有する昼間通年制の松平公民学校が創設された。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻254・423・535ページ