シニヅカイ(死の知らせ)

 

(シニヅカイ(しのしらせ))

【民俗】〈人の一生〉

死の知らせのことをシニヅカイ、シニブレ、シニビンギ、ソウ、ヒキャクなどと呼び、電話のない時代にはムラの人が手分けして、歩きか自転車で親戚のところに葬式の日取りを知らせに出かけた。死の知らせは必ず2人連れで、夜中でも提灯を灯して出かけたため、市場(小原地区)では遅い時間に2人で来るとすぐに葬式だとわかったという。葛沢(足助地区)でも2人揃ってよそのカドをまたぐと、「誰か亡くなったか」と言われた。死の知らせに対し、飯を炊いて労ったところも多く、八幡(旭地区)では先方では煮え立てを食べさせてくれ、熱いご飯のことを「ヒキャクの飯」と言っていた。葛沢では、ヒキャクが来てもよいように、搗いた米を1升はとっておくことになっていた。飯が炊けるのに最低でも1時間はかかるため、これを見込んでヒキャクに回る家を決めた。行った先であまり食べると次の家で困ってしまうため、たくさん食べるなと言い含めておいたという。〈人の一生〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻644ページ、16巻590ページ