(しめいへんこうもんだい)
【現代】
挙母市から豊田市へと名称変更される過程で展開された住民運動。昭和33(1958)年1月29日、挙母商工会議所は挙母市議会議長に対して挙母市を豊田市に名称変更する旨の請願書を提出した。2月4日の臨時市議会で世論調査を総務委員会に付託。変更の理由として、市名の読みにくさや、トヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工)が名古屋に位置していると誤解されていることがあげられている。全国には日立・伊勢・天理・野田といった各市のように、土地の象徴が市名になっている例があるため、挙母市も名称を変更し、周辺町村を合併して工業建設の理想を具現化したいとの意見もみられた。市議会での市名変更に関する議案説明で長坂貞一市長は、工業都市とする際に重要なのは自動車生産の都市にしていくことであり、トヨタの工場が中心となって地元の発展を期するような方針をとってもらうことが必要だと述べている。5月16日に開催された公聴会(写真)では、公述人19人のうち17人が市名変更に賛成する結果となり、総務委員会は「市名変更は実施すべし」「新市名は豊田市とする」「実施は進行中の町名設定と同時に行う」との結論を出し、変更時期を昭和34年1月1日とした。こうした内容を5月17日の市議会が採択し、18日に市議会議長が長坂市長へと報告。6月12日、市名変更反対同志会が演説会を行った。営利企業の名を使用すること、世論を無視した決定方法、10万都市建設の構想の具体的な実行計画を市民に発表しないことなどを市名変更反対の理由としている。市名変更が議決されたら条例廃止の直接請求を考えており、リコール運動を行う構えもみせた。対して長坂市長は6月16日の定例市議会で「市の名称を変更する条例」を提案し24日に議決。挙母愛市同志会は反対署名運動を行う。しかし7月11日に市の名称変更の許可申請書が県へと提出され、29日に正式に許可された。30日には「市名を豊田市に変更する条例」公布。反対派は市議会のリコール運動を検討するまでになった。条例公布前に挙母市竹生德住寺で開催された講演会では、市名変更許可申請書が知事に許可される前に阻止するよう陳情したいということと、許可された場合は行政訴訟を起こすという方針が立てられている。反対派は8月20日に市名変更条例廃止請求書を市議会に提出し、9月13日からは市長解職および市議会解散を求めるリコール署名運動を展開。挙母愛市同志会が作成したビラからは、市名変更の撤回を訴えたが効果がないのでリコールに突入したという動機がうかがえる。しかし臨時市議会は10月21日に「「市の名称を変更する条例」を廃止する条例」案を否決。翌年1月1日に豊田市へと名称変更された。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻15ページ、12号25ページ