(しもだいらちょうばばいせき)
【考古】
足助地区下平町馬場ほかに所在する縄文時代の遺跡。岩谷町から南西に向かって流れる谷川が下平町の中央部から北に向かって流れる下平川と合流する地点の南西向き山麓の傾斜地に立地する。標高 683.6mの焙烙山の北麓に連なる小起伏面の四方を山々に囲まれた中のわずかな傾斜地に所在している。標高は320~324m。縄文時代早期前半の平地建物跡・竪穴建物跡・野外炉跡、前期後半の竪穴建物跡、中期後半の配石遺構、後期前半の竪穴建物跡・配石遺構・埋甕様遺構など多くの遺構が確認され、早期前半・前期後半・後期前半の土器片が数多く出土している。特に早期前半の押型文土器が多く600~700点の土器片がある。前期後半の土器に赤色塗彩した原料のベンガラ塊が出土し、ベンガラが付着した石皿もある。石器・石製品も多く、石鏃・石錐・石匙・磨製石斧・磨石敲石・石皿・玦状耳飾などが340点以上出土している。
『新修豊田市史』関係箇所:1巻68・69・94・105・108・120・124・129ページ、18巻373ページ