宗門人別改帳

 

(しゅうもんにんべつあらためちょう)

【近世】

江戸時代、村ごとに作成された現代の戸籍原簿にあたる台帳。宗門人別帳・宗旨人別帳・宗門改帳ともいう。慶長18(1613)年、幕府はキリスト教を禁止する禁教令を発令して宗門改めを行い、寺に檀家である住民がキリシタンではないことを保証させる寺請が行われるようになる。当初、幕領や一部私領のみであったが、寛永12(1635)年「武家諸法度」にキリシタン禁制の一条を新たに加え、諸国・諸大名に宗旨改めが命じられ、全国で実施されるようになったとされる。寛文4(1664)年になると幕府は諸藩に毎年の宗門改めの実施を命じ、寛文11年には宗門人別改帳の作成が制度化され、以降、毎年作成して領主に提出された。体裁は時代や地域で異なるが、家ごとに檀那寺の証印が捺され、戸主と家族成員・奉公人、名前、年齢、家の持高、牛馬数などが記載され、末尾には、その村の家数、男女別の人口合計が記載され、檀那寺が請印している。やがて宗門人別改帳は、宗門改めと領主が夫役負担能力を把握するための人別帳とが複合化したものとなり、戸口を把握する戸籍簿としての役割が強くなっていった。婚姻や養子縁組などで村から転出入する場合、居村の宗門人別改帳から除かれ、移住先に記載されるが、親からの勘当や無届けで失踪するなどの理由で宗門人別改帳から除籍されると、「帳外れ」となり無宿人となった。明治4(1871)年の戸籍法発布により宗門人別改帳の役割は戸籍へと引き継がれた。黒田村(稲武地区)の宗門人別改帳は安永3(1774)年から幕末まで断続的に残されているが、縁付きや出稼ぎ奉公、出生や死亡といった情報が記載され、人口動態を知ることができる。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻230ページ