(じゅうようでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)
【現代】
略称は「重伝建」。市域では足助地区が選定されている。足助地区は、かつて尾張・三河から信州を結ぶ伊那街道(飯田街道)の重要な中継地にあたり、物資の運搬や人々の通行の要所として栄えた商家町であった。足助地区の町並みの大部分は安永4(1775)年の大火で焼失したが、大火直後から町並みは再建され、現在でも江戸時代後期から明治期に建てられた建物が数多く残されている。町並みの特徴は、平入と妻入の町屋が混在するところにある。かつての足助町の人口は昭和30年代をピークに減少し、町並みには空き家や空き地が目立ち始めた。この状況をみた地元の有志が集まり、昭和50(1975)年に「足助の町並みを守る会」が発足、町並み保存の条例化や重要伝統的建造物群保存地区の選定準備などが進められたが、結局、このときは自主的規制による保存が図られることになった。その後、平成17(2005)年4月に足助町が豊田市に編入合併されたことを一つの契機に、改めて町並み保存の道が模索されることになる。そして平成20年度に伝統的建造物群保存地区制度推進部会が発足、21年度から22年度にかけて足助伝統的建造物群保存対策調査が実施され、同じく21年度には豊田市景観計画において足助地区が中馬街道沿いに歴史的な町並みの景観が残っている地区として景観法に基づく景観重点地区に指定された。こうして伝統的建造物群保存地区の制度を導入し、住民と行政が共働して歴史的景観の保全と地域活性化を図る方向へと舵が切られ、22年度に『足助伝統的建造物群保存対策調査報告書』が発行されるとともに豊田市伝統的建造物群保存地区保存条例が制定され、23年度(平成23年6月)に足助地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定された。愛知県内の第1号である。豊田市は、建造物の修理、修景等に要する経費の補助、技術的支援、固定資産税の軽減などを行い、保存につとめている。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻412・663ページ