守綱寺 

 

(しゅこうじ)

【近世】

元和・寛永年間(1615~44)に、尾張藩重臣渡辺半蔵家初代の守綱の菩提所として創建された現・真宗大谷派の寺院。渡辺山と号する。渡辺家歴代当主の墓塔や、東本願寺門主の裏書を有する歴代当主の肖像画などを伝えている。近世文書のまとまった形での保存、伝来はこれまで知られていなかったが、近年、襖の下張り文書から、近世初期にさかのぼる渡辺家関連を含む史料が多く見出された。本格的な検討が待たれる。郷土史家若子旭が個人として収集した渡辺家関係資料のなかにも若干の関係史料がある。例えば、近世後期の渡辺家当主寧綱が「当所の宮重大根」を守綱寺の本寺、東本願寺に進上している書状、祖師親鸞と主君の尾張藩主とではどちらが大事なのかと迫られた半蔵が、藩主から求められ「宗旨の心得」をうたい、守綱寺の逮夜(親鸞命日前夜のつとめ)に組み込まれたという由緒を記す書付などが興味深い。なお守綱寺内には、慶安元(1648)年4月8日付、渡辺重綱名義の梵鐘銘が現存し、初代守綱の事績を顕彰しているが、実際の執筆者は妙心寺派の禅僧、霊峰元奨である。渡辺家は、浄土宗隨應院を創建した事実も知られており、真宗守綱寺を中核としながらも、諸宗派の知見をとりいれつつ、先祖や自身の行く末に思いを馳せる信仰生活を送っていたのである。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻668ページ

→ 渡辺家(尾張藩)