(しゅとう)
【近世】
天然痘(疱瘡)の予防接種。近世では天然痘は疱瘡神がもたらすと信じられており、致死率の高い恐ろしい病気であった。18世紀半ばに清国から天然痘に罹患した人の膿を健康な人に接種する人痘法が伝播した。その後、より安全な方法として天然痘に感染した牛の膿を健康な人に接種する牛痘法が導入され、日本では嘉永2(1849)年に長崎のオランダ商館医モーニッケが牛痘法を成功させると、都市部を中心に全国的に広まった。碧海郡花園村(高岡地区)の豪農寺田伝兵衛は、名古屋に種痘所を設置して積極的に種痘を広めていた伊藤圭介に自身への種痘の施術を依頼している。種痘の普及とともに蘭方(オランダから伝わった医学)が広く受容されるようになった。
『新修豊田市史』関係箇所:3巻619ページ
【近代】
愛知県は明治8(1875)年頃から種痘の徹底を図るように管内にくり返し通達した。また県は明治13年町村に衛生委員を置いて、天然痘やコレラなどの伝染病の予防、道路・下水・芥溜などの清掃による衛生環境の改善、種痘の徹底、避病院の開設といった職務に従事させた。政府も明治9年制定の種痘医規則を廃止し、18年11月新たに種痘規則を公布した。これは幼児への3度の種痘実施、種痘済みの者への医師からの種痘証の交付、地方長官による種痘明細表の作成と内務省への報告という内容を規定し、種痘対策の徹底を図った。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻88ページ