(しゅんこういんほんどう)
【建築】
岩倉町(松平地区)。現本堂は、棟札に「奉再建上棟(五間五間半)瓦葺一宇(天明五年巳十一月十日)寺内安全祈所 八王山春光院現住見譽眞廓代 宮大工職當國宝飯郡 宝飯郡牛久保岡田五左右衛門尉源富次門弟 棟梁當村遠藤市右衛門良致 云々」とあり、天明5(1785)年に建立されたことがわかる。山門は、棟札によれば、中興念蓮が明治5(1872)年に建立した。本堂は、桁行3間(実長6間)、梁間5間(6間)、寄棟造、桟瓦葺、一間向拝付、南面建ち。柱は、来迎柱、内陣周囲を丸柱とする他は面取角柱とする。堂内は、外陣では前面2間半の30畳と後方両脇の4畳半を加えた39畳の凹字型の空間であり、全体に棹縁天井を張っている。脇の間は、前面では床高を上げるために無目敷居、蹴込板を通し、上部に柱間装置を設けず開放し、後方では柱間に虹梁を渡して大瓶束を立てて位牌壇を設け、この前に幅半間の通路を通している。内陣は、前面と両側面の柱間では床を高めるために無目敷居、蹴込板を通し、内法上部に大虹梁を渡して開放し、その上には正面では3分点、側面では2分点に大瓶束を立て、この間に板小壁を入れ、柱上に頭貫(端木鼻)、台輪を通し、出三ツ斗を置き、柱間の内法上には彩色を施している。現在、内陣前面より2間半後方に2本の丸柱(旧来迎柱)を立て、この奥幅半間の所に角柱2本を立て、その前に禅宗様須弥壇を設けて本尊仏を安置し、仏壇背後に幅半間の通路をとっている。この内陣部分の材は新しく、後世須弥壇を後方に移したとみられ、当初は2本の丸柱が来迎柱とされ、その前面に禅宗様須弥壇を出していたと考えられる。また、内陣の周囲では頭貫、台輪を巡らし、三ツ斗を載せて上部に折上格天井を張っている。この建物は、法雲寺本堂と同様に内陣を凸字型、外陣を凹字型の空間を形成しており、近世浄土宗本堂としての特徴をよく示した貴重な遺構である。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻47ページ