(じょうかい)
【近代】
戦時下の上意下達・相互監視の国民統制機関として、昭和15(1940)年に内務省は部落会町内会等整備要領を府県に通達し、全国的に隣組を設置させた。そして、戦局の悪化とともに、隣組は相互監視と統制の性格を激化させていく。まず、市町村に常会が設けられ、区長などが出席、国からの指示などが伝達された。それを人々に徹底させたのが、隣組の定例会であった常会であった。そして隣組常会が毎月1回ないし2回開催され、各世帯から必ず1人は出席しなければならなかった。そこでは、宮城遙拝や国歌奉唱の後、市町村是などを斉唱し、市町村などからの伝達や連絡が報告され、隣組での協議なども行われた。情報や指示の伝達が徹底され、上意下達の場ともなった。町内会・部落会・隣組を通じて、直接的に人々を大政翼賛会の支配下に置き、一致団結して戦争に協力する翼賛体制が作られていった。隣組常会はまさにその場となった。
『新修豊田市史』関係箇所:11巻131ページ