(しょうがいしゃふくし)
【現代】
豊田市は昭和50(1975)年度、厚生省の社会福祉事業である身体障害者福祉モデル都市の指定を受けた。同事業は人口20万人以上の都市を対象に、身体障害者(身障者)への一般国民の理解を深めるとともに、身障者の社会参加のための環境整備を図り実際の参加を促すという目的をもっていた。翌51年には待望の福祉センターがオープンした。同センターは全館車いすでの移動を可能にし、自動扉やエレベーターの音、廊下の手すり、各部屋扉の点字表示、建物外部の点字ブロック設置など、身障者への配慮を行きとどかせていた。送迎者用20人乗りのマイクロバスには2人分の車いす用スペースも設けられた。昭和56年は国際連合が定めた国際障害者年であり、今後10年間の目標として「完全参加と平等」をテーマにした。市では福祉部に障害援護課を設置し、国際障害者年事業を実施している。例えば同年5月31日には心身障害者スポーツ大会が市体育館で開催され、障害者とその家族約800人が参集して車いすスラローム、大玉ころがし、紅白玉入れ、フォークダンスなど9種目が行われた。しかし障害者の「完全参加と平等」を促進するためには福祉に関わるボランティア人材が不可欠である。福祉センター内にボランティアセンターが発足したのは昭和53年6月のことである。昭和55年現在では13のグループと個人、併せて約500人のボランティアが活動をしていた。こうした障害者福祉ボランティアは、豊田市社会福祉協議会(社協)の福祉の風土づくり10年計画に沿って、昭和58年より友愛訪問として展開する。この事業は在宅重度心身障害者を家庭訪問しお世話するというものであり、昭和59年現在、受入希望障害者は94人、ボランティアは66人いた。実際には15世帯への訪問が実現した。例えば視覚障害1級でマッサージ業を営みつつ76歳の母親の介助をしている人のもとへ、4人のボランティアが訪問し、書類の記入や朗読奉仕をすることで生活の悩み解消に役立った、というような報告が社協の雑誌『福祉のおしらせ』には記録されている。
『新修豊田市史』関係箇所:5巻399ページ