正月 

 

(しょうがつ)

【民俗】〈年中行事〉

1年の始まりに歳神を迎え新年を祝う行事。年末の正月準備から始まり、元日を中心とした大正月、1月15日を中心とした小正月の行事を経て正月の終わりの日とされる二十日正月まで行事が続く。暦が旧暦から新暦に切り替わっても、晩稲を作っていた時代では新正月には稲作のアキ仕事(調製作業)が完了しておらず、旧暦で正月を祝うところが多かった。新正月を祝うようになった場合でも、旧正月にも餅を搗いて鏡餅を供えたり、その時期に小正月の行事を行うようになったところもある。市域でも、年末になると各家で正月準備にとりかかり、最初に煤払いが行われた。古くは12月13日と決まっていたとされるが、昭和30年代の頃には特に日を決めず、暇をみて行うようになっていたといい、笹竹の下の方の枝葉を落とし、仏間、居間、寝室などの順で天井の煤を払った。餅搗きは12月28日か30日に行った。29日は「クモチ」といって避けたが、「フクモチ」といってこの日に搗く家もあった。最初に鏡餅を作った後、伸し餅、餡餅、細かく切ったボロ、カマボコ型にして切ったオヘギなどを作った。餅搗きと合わせて門松や注連縄などの正月飾りを準備したが、市域では注連縄を飾った家はあまり多くなく、門松も平野部では飾る家は少数であった。山間部ではマツムカエなどといって山で松や竹、梅を採取してニワのカドに立て、根元に山砂を盛って飾った。12月31日には各所に鏡餅を供え、日没後に家族みんなで年取りのご馳走を囲んで新年を迎えた。元日には、まず一家の主人が井戸で水を汲んだ。これをハツミズ、ワカミズといって神仏に供え、この水で雑煮を作ったほか、山間部では若水で煎れたお茶を飲み、歯がためといって干し柿を食べて長寿を祈願した。雑煮は、醤油味のすまし汁に餅菜と角餅を焼かずに入れるのが基本で、稲武地区ではお椀の餅の下に輪切りのサトイモを敷いた。元日は氏神や寺に初詣に行く以外は出かけずに家で静かに過ごし、洗濯や掃除などの家事をやってはいけないとされた。2日はさまざまなことを始める日で、初めてご飯を炊く炊き初めや書き初め、嫁が実家に帰る初帰りなどを行った。仕事始めとして儀礼的に田畑へ鍬を入れたところもあり、これをクワハジメ、ハツゾメ、ウチゾメなどといった。7日は七日正月といい、七草粥を食べる習わしがある。平野部ではあまり盛んではなかったが、山間部では七草が揃わなくても、畑や畦で採ってきた菜を鳥追いの歌を歌いながら刻み、粥に入れた。11日は蔵開き、鏡開きといい、その年初めて蔵の扉を開け、鏡餅をさげて割り、汁粉やぜんざいにして食べた。この日に門松を片付けた家も多い。1月15日は小正月で、片付けた門松を左義長で燃やし、ニュウギを立てたりモチバナを作ったりして農事の予祝儀礼を行った。1月20日は二十日正月といって正月が終わりとなる日とされ、のんびり家で過ごした。〈年中行事〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻678ページ、16巻618ページ